Day10:shikoku Pilgrimage 四国霊場108番所巡礼走り旅1400km

Day10:shikoku Pilgrimage 四国霊場108番所巡礼走り旅1400km 私見的お遍路さん

旅程:第38番金剛福寺〜第39番延光寺
日付:2016年5月27日金曜日
天気 雨
距離 約84km  累計距離 約歩行距離歩行距離646km

四国霊場 修行の道場http://www006.upp.so-net.ne.jp/kajikimaguro/henro/

はじめに
僕は、2016年初夏に四国霊場108番札所(別格20番札所)1400kmを野宿走り旅で22日間で結願した。
そして、10日目の巡拝記である。

昨夜の瞑想

松尾トンネル 一夜のトンネルを寝床とする

高知県足摺岬での雄大な自然の情景に大きな興奮と感銘を得ることができた。
その余韻を噛みしめるように僕はしばらく海原のある太平洋を時間を忘れて佇んでいると、過ぎゆく時間をも忘れさてくれる。どんよりと曇った黒く染まり、水墨画のように白黒の世界と変化しているのだ。
足摺岬は観光スポット、一度は訪ねてみた岬でもある。
だが今は刻々として海原に浮かび漆黒の雲の中に隠れつつある太陽にあるように
夕闇が迫ってきている。そして小さな雨が身体を濡らしている。

この足摺岬を後にして、次の札所に進まなければならないがこの雨の中で疲労が蓄積されて思うように足が運べないし、睡魔が襲っている。
当然として野宿が基本だが、この時ばかりは宿に泊まりたいと思ったことは四国巡礼で初めて経験である。
雨に濡れれば気分的な問題もあるが、その冷たさからくる脱力感は肉体的にも精神的な大きな足かせとなることも多い。
雨粒は容赦なく背中に担がれたザックを濡らし、その重さを増してくる。
往来の無い濡れた国道を土佐清水を目指すが、もう心は折れそうで仕方ないし、心の重さからくる倦怠感に悩まされれいる。




”雨にさえ避けることができればどこでもいいから横になりたい”と落ち着ける場所を僕の視線が先を追うのだ。
しかし、左は波が高い海であり、左は強い風に揺れる森である。どうしても人家があるような雰囲気も予感も直感もないのだ。

ただ歩き続けることに疲れたなと思えて仕方ない。
こんな時こそだれでもいいから人と会いたいし、人恋しい瞬間はないはずだ。










そうした重くて憂鬱な時間が過ぎゆ中を耐えながら国道27線を歩き進むと、目新しい松尾トンネルが眼前に現れたのです。
後で知ったのだがこの松尾トンネルですが、
2016年3月27日「松尾トンネル」が開通し、大浜経由で「松尾トンネル」を通り足摺岬まで完全二車線で走行できるようになりました。

まだ出きたばかりの小さなそのトンネルであれば、この雨を避けられるはずだ!
トンネルを抜けて先を進んでも果たして夕暮れ近くにある今、果たして夜露を避ける野宿場所が現れるだろうか?と、僕はあまり確信することだできないので
トンネルの中で一夜を過ごすことに決めた。
その決断の理由として
ひとつは車や人の往来がほとんどないこと。
もうひとつは、早くこの重いザックから開放され楽になりたいこと。
トンネルの中の歩道に、濡れていない適当な場所にザックを置いて
コンクリートむき出しの歩道にアルミシートを敷いて、僕はあらゆる重さから開放されたような感覚の中で大の字に横たわるのです。

私見的お遍路さん


そもそも、遍路というのは、死出の旅路を生前に修行することで、死後の旅路を楽にする、ということなのです。
だから、死に装束なのです。
本来、巡礼や遍路とは歩いて巡るべきものだと思う。 歩きでないと意味が無いといっても過言ではない。
遍路は「辺路」であって、 それは多くは海沿いの厳しい道を歩くものでした。
昨今の、バスやバイクで回ったり、区切って回ったり、ということは、遍路とは言ってはいけないものであり、遍路とは別の言葉で表現すべきではないかと実際に走る遍路として
常に頭の中に残っているのです。
歩かない巡礼はお遍路さんとは言えないのかもしれません。・・・これが正しいだろうか?
現代のお四国さん(お遍路さん)の中には、
多くはバスや車というような「現代の利便さ」を享受して巡拝されるお遍路さん?が多くいます。
団体でバスで巡ることは、ただの観光的スタンプラリーにしか僕には映らないし、また
これはお遍路さんとしての単に疑似体験でしかないのでないでしょうか?
歩くこと・・・つまに一死不乱に歩るくことが巡礼者としての功徳であり、自らの肉体と精神を酷使することで見えてくる世界が存在するものだと僕は思います。



楽に生きる

あなたの人生中で持っているものを少しだけ減らすことを考えれば、その分だけ世俗から抜け出すことができる。

たとえば、
もし友人との付き合いを少しだけ減らせば、その分だけ煩わしいいざこざから逃れられるし、発言するのを少しだけ減らせば、その分だけ過失がなくなる。

また、
不安や心配などをするのを少しだけ減らせば、その分だけ精神は消耗しないし、利口ぶるのを少しだけ減らせばその分だけ本性が具現化できるのである。

だがしかし、日々に少しも減らすことを努めないで、かえって日々に少し増すことを努めている者は、その一生を、自から手かせ足かせで束縛しているようなものである。


参照
四国霊場八十八箇所 距離http://hen6.web.fc2.com/plan/plan_tokushima.html
四国八十八箇所*の道
四国別格20霊場の道
資料及び引用
清水に参る道








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