恒久平和を願う道 広島〜長崎430km

立ち上がれない!
足腰の節々やあらゆる筋肉が重度のダメージを受けているようだ。
しかし、これも原爆投下で苦しんだ人々に比べれば、大きな問題でもない。


広島〜長崎430km




8月6日午前零時広島原爆ドームをスタートした僕は
広島、山口、福岡、佐賀そして長崎の巡礼の道を辿った。

8月9日午前11時2分
長崎に原爆が投下されて約8万人の人々が灰になり、
そして原爆が原因でその後遺症に苦しんで死んでいた。
僕の親戚や身内も多くが原爆の灰の下に眠っている。


三年前から遺族者として長崎平和式典に出席することになる。

それは僕の叔父ちゃんやおばちゃんも原爆の生き残った人々のひとりである。
しかし、高齢化が進みすでに他界して、僕達の年代が順番として
参加しなければならなくなったのだ。


今年も昨年に続き安倍首相が広島及び長崎での平和式典に参列された。
歴代首相と比較しても異例である。

安倍首相への平和への誓いと崇高な意思を感じてならない。
平和とは自分たちで守らなければならない。空気や水のような
当たり前にそこにあるのではない。

世界を見渡せば、人間の憎しみや差別、偏見など
その闇が紛争があらゆる地球のあちらこちらに存在していることでも理解できる。
ましてや、世界の憲法である国連憲章を無視する中国は
近隣諸国で冒険的な野望を進めている。

話せばわかると信じる平和主義者は、この事態をどう説明するのだろ
戦争反対だと叫ぶ日本人は、いったいどこへにその主体を置くのだろうか?
世界の人々への平和の願いは、必ずしも日本人との価値や思考が相違している。

宗教や文化など異にする人々に、同じ舞台に立つことがいかに困難なことが理解できていないのが分かる。





長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ
本日、被爆七十一周年、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 今から七十一年前の今日、この地に投下された原子爆弾によって、当時、七万ともいわれる、幾万の貴い命が一瞬にして失われました。惨禍の中、一命をとりとめた方々にも、言葉にできない苦しみをもたらしました。しかし、市民の皆様の並々ならぬ御努力によって、長崎は焦土から立ち上がり、長い歴史が息づく国際文化都市として、見事に発展を遂げられました。
 被爆七十年の昨年十一月には、パグウォッシュ会議世界大会がここ長崎で開催され、「長崎を最後の被爆地に」という長崎宣言が国際社会に発信されました。
 本年五月、オバマ大統領が、米国大統領として初めて、広島を訪れました。核兵器を使用した唯一の国の大統領が、被爆の実相に触れ、被爆者の方々の前で、
 核兵器のない世界を追求する、
 そして、
 核を保有する国々に対して、
 その勇気を持とう
と、力強く呼びかけました。G7外相会合の「広島宣言」とともに、「核兵器のない世界」を信じてやまない長崎及び広島の人々、そして、日本中、世界中の人々に大きな希望を与えたものと確信しております。
 七十一年前に広島及び長崎で起こった悲惨な経験を二度と繰り返させてはならない。そのための努力を絶え間なく積み重ねていくことは、今を生きる私たちの責任であります。
 唯一の戦争被爆国として、非核三原則を堅持しつつ、核兵器不拡散条約(NPT)体制の維持及び強化の重要性を訴えてまいります。核兵器国と非核兵器国の双方に協力を求め、また、世界の指導者や若者に被爆の悲惨な実態に触れてもらうことにより、「核兵器のない世界」に向け、努力を積み重ねてまいります。
 私は、新たな一歩を踏みだす年に、この地長崎において、世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めてお誓い申し上げます。被爆者の方々に対しましては、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」に基づき、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策の充実を行ってまいりました。高齢化が進む被爆者の方々の実情を、今後もしっかりと踏まえながら、援護施策を着実に推進してまいります。特に、原爆症の認定につきましては、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査に努めてまいります。
 結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ長崎市において、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族並びに被爆者の皆様のご多幸をお祈り申し上げるとともに、参列者並びに長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。

平成二十八年八月九日
内閣総理大臣 安倍晋三



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