母への想い、ひとつひとつ綴る瞬間

母の背中の私


実母を介護付ホームへ入所させた。
母は30歳代の時に酒乱の父と離婚した。
その後は子供5人を抱え母子家庭のなか僕は育った。
家計を助けるため、小学校・中学校・高校と新聞配達のアルバイトを僕は続けた。

家庭の経済的な理由で、僕は大学進学を諦めていた。
高校も学費を考えると公立高校でなければならないと、僕は小学校からそんな自覚していた。

大学進学に悩んでいたときに、母が相談があるからと、突然かしこまって正座させらた週末のある日。

出された物が預金通帳だった。
静かに母は口を開いた。”これを使って!”と。

僕はそのときはじめて気が付いた。
その預金通帳を手にして、心臓の鼓動が波打つことを覚えながら
通帳ページをめくった。そこには、毎月末数千円のお金が毎月記録されていた。それも、僕が生まれてか今まで継続的に入金されていたのです。


その後、僕は希望大学に合格して上京することになった。
長崎駅のホームまで見送りに来てくれた母が、渡したいものがあるからと、私に両手を握りそっと私くれた茶封筒。

電車の中で開けてくださいね・・・涙で充血した目が僕を見つめていた。
その時の情景は、僕は消して忘れなれない。

数時間後、僕は車中の人であった。
気になっていた茶封筒をポケットから取り出した。
封を切り中身を取り出すと2万円のお札と手紙が入っていた。

手紙には、健康に注意して勉強に励みなさいといった言葉つづられていた。
最後に、このお金で生活の足しにしてくださいとあった。

突然、僕は周りの乗客達を気にすることなく大声をあげて不覚にも号泣てしまった。

あれから数十年が過ぎた。
今、僕の両手にはその1万円札と手紙がある。
改めて読み返してみると、母の優しさと偉大さを感じる。

愛されたことのない人は、また他人を愛することができない。

兄弟姉妹5人で分担して、特定介護付きマンションに入居する為のお金を用意した。
母が好きな海が眺められるテラスにあるイスに腰掛けていた。

母の後姿を見ながら立っていると、ふと・・・あのときの記憶を思い出して母の肩を抱きしめた。

母の耳元で、”かあさん、ありがと。“と、少し照れながらそして素直に言葉をかけた。

僕の母は、少し痴呆症があり、そんな言葉を理解しているかどうかわからないが、ニコニコと笑いながら僕の片手を握ってくれた。

僕の母は、本当に幸せな人生を過ごしたのだろうか?
いつも僕は頭のなかで自問を繰りかえしていた。

母さん!ありがとう♪
これからも元気で生いきしてください。これまで散々苦労してきのですから、少しだけ今は忘れてください。

あなたの子供たちを、これからも応援してくださいね!

言葉に尽くされないほど愛情を頂き、本当にありがとうございます。

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